心配の種は内側にある


僕も心配性で、常々、もっと大らかに構えたいものだと反省しているけれど、これも性格だからなかなか変えられない。

例えば、飛行機に乗るとなると、乗り遅れないかとヒヤヒヤ。横で妻が大丈夫だと堂々としているのを見て、イライラ。

この場合、心配の種は飛行機の出発時間だろうか?

「心配」と書いて「心配り」ともなる。僕なりに解釈すると、「心配」は「心が配られてしまう状態(mindless)」。自分の意思とは関係なく、とにかく配られてしまう。無料整理券が全部心だったらと思うと、ヒヤヒヤ。「心配り」は「心を配っている状態(mindfull)」。誰が?自分が!レアチケットをばらまいたりしないし、大切に管理するから、堂々としていて謙虚でいられる。

性格だから変えられないかもしれない。だけど、心配の種がどこから湧いてくるのか気がつくことはできる。

本当に飛行機の出発時間のせいだろうか?

頭の中の妄想のせいだと思う。mindless になってしまっている。

「乗り遅れたらどうしよう?」、「他の便に乗れるかな?」、「もし、ダメだったら?」...(エンドレス)。

既に起きたことを悔やんでも、何も変わらない。未だ起きていないことを心配しても意味がない。

よく説かれるフレーズだ。

そんな生き方が出来たら苦労はない。

だけど、自分の心とちゃんと向き合う(瞑想)時間を1日の中に15分でも作ってみたら、心の癖を認識できるようにはなると思う。

心理学を学んで心の仕組みを知るのもいいだろう。

心は自分のものだと思うだろうけど、暴れ馬のように、猿のように、調御できていない。

そこに心配の種が撒かれている。

心は腹を空かせた鳩のように、心配というパン屑を我先にとついばんで暴走しだす。

まずは認識。

だけど、認識しても止められない。何故なら、頭で考えているから。日々の実践と瞑想によって腹(丹田)に落とすしかないだろう。

この世はわが身の合わせ鏡。汝、この世に何を見るか。

自分が見る世界は、自分の内面を映し出したもの。そこに何を見るのかは、自分次第。

万事塞翁が馬だと思って、慌てず、一呼吸おいて。

そう僕にも言い聞かせるわけです。

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2016-07-10 | Posted in 子どものこと, 癒しNo Comments » 

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