2015年、久高島の旅 〜なぜ『神の島』なのか〜


久高島は神の島と呼ばれているそうです。どんな場所なのか見てみたい、感じてみたい。
そう思って家族会議にかけてみたところ、妻も行きたかったとのことで満場一致。
9月のシルバーウィークに行くことにしました。
唯一の気がかりは1歳3ヶ月の息子を連れて飛行機、フェリー、離島であることくらいでした。
久高に着くと、沖縄本島とは違って道の両端には茂みが広がっていました。


宿泊した交流会館の屋上から見渡すと、平たい土地で見通しが良いのに、いざ道に立つと島に包まれている感じを受けました。

私の一番の目的は、『なぜ、神の島と呼ばれるのか』でした。
百聞は一見に如かず、感じてみよう!
ちなみに、我が家は『一年に一回は一度も行ったことのない場所へ行く!』となっています。
ダライ・ラマ法王のお言葉です。

島をレンタルサイクルで巡ってみました。
島の中央を通る道は舗装されていますが、脇道にそれれば未舗装の道になります。
未舗装の道は所々表面の荒い岩(?)が顔を覗かせていて、自転車のハンドルを取られます。
よくよく見てみると、これは珊瑚なのではないかと思いました。
(後で調べてみると、久高島は珊瑚でできた島でした。)
珊瑚でできていたら表土は薄く、農耕には向かないだろうと思い注意して見ていると、畑の土は力が無さそうです。
また、みる限り田んぼはありません。
表土が薄いし、雨水頼りで、水はけが良すぎるからかな。
今でこそ食堂へ行けば定食が食べられるけど、昔はかなり厳しい環境だったことが想像できます。


これは海の幸に大きく依存した暮らしをおくるしかなかったと思います。
五穀が壺に入って流れ着いたイシキ浜の話からも、いかに五穀が重要であったかが想像できます。
島の厳しい環境が久高の人の霊性に影響を与えていたのだと思います。

太陽がまだまだ顔を出さない早朝に交流会館の屋上へ行ってみると、空には見渡す限りの星空が広がっていました。
こんなにたくさんの星を見るのは久しぶりでした。
聞こえるのは東の浜に打ち寄せる波の音。
西を見れば沖縄本島の灯り。
東は真っ暗で、空と海の境界は消えていました。
まるで、西側はこの世の営みを送る場所で、東側はあの世につながる暗いトンネルのようです。

日の出が近ずくと、東の空からだんだんと明るくなっていきます。
空と海の境界線が現れ、遠い遠い海の果てから太陽が昇って行きました。
暗いトンネルを抜けてやってくる太陽がある場所。
そこにニライカナイがあるのだと思わずにはいられませんでした。
沖縄本島から見たら、海に浮かぶ久高のその先にあるニライカナイ。
久高がまるで仲介しているように思えます。
太陽が昇ると、島には人々の営みが戻ってきました。
昼と夜で久高が見せる姿は大きく異なっていました。

『実際に崇拝し、儀式を行ってこそ「神」が現れる』

ユングが指摘したことを当てはめると、琉球のストーリーに生きて、久高島に抱かれた営みを通して、久高は『神の島』であり得るのだと感じました。
島を後にして空港へ向かうタクシーの中、運転手さんと話していると、沖縄本島と久高島の間は水深が急に深くなっていて、海流が急ですぐ波が高くなるそうです。
そうなるとフェリーは欠航になるのだとか。
ここにも『神の島』と呼ばれる所以がうかがえました。

9月は台風のシーズンであり、私たちが帰った数日後には台風が迫ってきていました。
幸い、滞在中は海も穏やかで天気も良く、ゆっくりと過ごすことができました。
守り、受け継ぎ、祈り続ける人たちの営みがある限り、久高は神の島であり続けると思います。

参考図書

スポンサーリンク
2016-01-17 | Posted in 旅行No Comments » 

関連記事